最後の治療

 2019年7月17日

 補助化学療法の3回目。最後の治療をおこなうために入院しました。

 2019年7月24日

 吐き気もなく無事治療を終えて退院しました。とりあえずはほっとしたのを覚えています。

 ただ残念な事に、腫瘍はあまり小さくなりませんでした。この時点で2センチほどの大きさでした。今後時間をかけて小さくなっていく可能性もあるとのことで、月に1度の定期健診で腫瘍の大きさを見ていくこととなりました。

 今回の治療の直後から、両手足のしびれが出現しました。事前に抗癌剤の副作用でしびれのことは聞いていたので、さほど驚きもしませんでした。手は肘下から指先にかけて、足は足首から下、指先にかけてです。しびれは強くなったり、弱くなったりとその時々で感じかたは違いましたが、日常生活に支障はなかったので、あまり気にしないようにして過ごしました。

 しびれにたいしては、ビタミン剤が処方されました。現在はビタミン剤は服用していません。手だけ時々しびれがでるときはありますがほぼなくなりました。

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ある日の夕食 サケとエビフライ

 

サザンのライブ

 2019年6月9日

 この日は迷いながら購入した札幌ドームでのサザンのライブの当日でした。しばらくたくさんの人のいる中に行ったことがなかったし、会場に到着してから、自分の座席までの距離を歩いていけるか自信がなく、とにかく不安でしたが、行くことにしました。

 交通機関を使うとバスと地下鉄と徒歩で1時間以上かかるので、お金はかかるけれど、往復タクシーを使いました。

 ドームに到着し、自分の座席まで歩くことができました。疲れたら途中で帰ろうと思っていたのですが、最後までライブを堪能することができました。

 大好きなサザン。夢のようなひと時。「生きててよかった」そう思いました。迷ったけれど、本当に行ってよかった。体に力が湧いてくるような思いでした。

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2回目の補助化学療法

 2019年5月28日

 2回目補助化学療法を行うため入院しました。前回と全く同じ流れで抗癌剤点滴をおこないました。

 2019年6月5日

 吐き気無く治療を終え、無事退院しました。

 2回目の治療の阿智は、1回目よりも体のだるさは少なく過ごすことができました。ほんの少しですが、家事のスピードが少し上がってきたよおうに感じました。散歩も少しづつ距離を伸ばしていきました。

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スタバで一息つきました

 

補助化学療法開始

 2019年4月16日

 補助化学療法を行うため、再び入院しました。今回はシスプラチンと5-FU(ファイブエフユー)という2種類の抗癌剤を投与します。1か月毎に3回行う予定です。本当はもうこれ以上抗癌剤を体内に入れたくはありませんでした。しかし、腫瘍を根治したいという思いもあり、再び覚悟をきめました。

 1日目 17:00~翌10:00 補液投与 

 2日目 11:30~吐き気止めと補液投与→12:30~14:30シスプラチン投与後

     ファイブエフユーと補液を翌10:00まで投与

 3日目 10:00吐き気止めとファイブエフユーと補液を翌10:00まで投与

 4日目 上に同じ

 5日目 上に同じ

 6日目 補液を6時間投与して終了

 という流れで6日間点滴につながれるというちょっと辛い状況ではありましたが、なんとか乗り越えました。吐き気止めも服用していましたが、体が抗癌剤に慣れたのかはわかりませんが、吐き気もなく、三食病院の普通食を食べることができました。

 5月16日

 予定の治療を終え、退院しました。退院後は、白血球の数値が低く感染しやすいため、生ものが食べられないことと、人ごみにはいかないよう注意を受けました。

 倦怠感が強く、家事や散歩はゆっくり休みながら行ないましたが、起き上がれず、1日横になって過ごす日もありました。

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 耳鳴りも強く、右耳はあまりよく聞こえませんでした。

 血液検査は週2回おこなっていました。白血球の数値がなかなか上がらず、2度目の補助化学療法になかなか進めませんでした。

 

突然味覚が戻ってきました。

 退院して10日ほどでしょうか。相変わらず味覚が無い日々を過ごしていましたが、その日の夕食。納豆を食べようと、付属の醬油を味も無いのにかけて口に入れたその時、突然「しょっぱい」と思いました。とてもびっくりしましたが、それはとても懐かしく、待ち望んでいた「味」でした。

 こんなにも早く味覚が戻るとは思わなかったので、とてもびっくりしました。かといって、全ての食べ物の味覚がすぐもどったわけではありませんが、その後も野菜、味噌汁の味、と味わえるようになりました。肉、魚類は味覚が戻るまで少し時間がかかりました。

 1番味覚が戻るのに時間がかかったのは、「甘味」だったように思います。元々甘い物が大好きで、味覚が無くても甘いものが食べたくて、カステラなどを口に入れては味がなく、ただゴワゴワとした感じが口に広がるだけで悲しかったことを思いだします。

 現在は口渇感は少しありますが、なんでも美味しく食べることができています。また、少し食べている途中むせることが以前より多くなったように思うので気をつけています。もちろん、病院でノートに書いた食べたい物リストは全て食べました。

 この病気をするまでは、味覚について考えたこともなかったし、いつも美味しく食事ができて当たり前とお思っていました。

 「味わえる」ことのありがたさ。1食1食感謝していただいています。

 

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チャーシュー


そして以前は料理もさほどしていなかったのですが、現在は毎日できるだけ手作りしています。そしてそれが今後の自分の体を作っていくのかな、と思っています。病気に負けない体を作っていきます。

 そのために、毎日作ります。

玄米食に変えました。

 退院してからの食事は、毎日自分で作るようになりました。お米は白米から玄米に変え、それにに五穀米、細かく刻んだ野菜、それと油、お酒、醬油を大さじ一杯程度入れて炊きました。それをおにぎりにして冷凍し、毎日少しずつ食べました。

 あとは野菜スープか具沢山味噌汁を作り、毎日飲みました。最初はとにかく味覚がなかったので味見は母にしてもらい、なんとか作りました。

 

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ある日の夕食 野菜とタラとつみれの鍋

 

退院後の生活

 退院後は体力低下と治療の副作用か、強い倦怠感がありました。立ち上がる時は強い立ちくらみがあり、家の階段を上るだけで心臓がどきどきし、息切れがしました。長い距離は歩けず、週に2回の通院以外は外出できませんでした。

 母はふらつきの持病があり、薬を飲みながら生活していたので、家事はできる限り協力したいという気持ちがありました。

 掃除や食事の支度は、感染しないようにビニール手袋をはめて休みながらゆっくりとおこないました。時間もかかり疲れましたが、とても良いリハビリになったと思います。

 自宅の中で動けるようになってきたら、マスクをつけて外へ散歩に出てみました。まずはゆっくり自宅の周りを1週しました。そこから距離を少しずつ伸ばして、母と一緒に、歩いて10分位のスーパーまで買い物に行けるようになりました。

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今年の七草粥